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スイカ いわき昔野菜図譜 其の参 | いわき市役所

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Academic year: 2018

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ス イ カ

スイカ

<ウリ科スイカ属>

●主な栽培地  常磐西郷町

14 スイカの原産は、野生種の分布からアフ リカ中部の砂漠地帯ではないかといわれて います。エジプトでは、スイカを描いた 4千年前の壁画も見つかっていますが、ど うやらその当時は、主に種のほうを食べて いたようです。地中海地域の乾燥地帯を中 心に栽培が続けられているうちに、果実を 食べる作物として発達したものと考えられ ています。また現在のスイカのような縞模

生産の歴史的由来

常磐

様はなく、黒皮、無地皮が一般的でした。 日本に伝わったいきさつは諸説ありま す。『農業全書』(1697)では、スイカは 寛永の末、つまり江戸時代初期に初めて種 子が伝わり、その後諸州に広まったと記さ れています。一方、『和わかんさんさいずえ漢三才図会』の中に、 慶安時代(1648 ~ 1651)に隠元禅師が 中国から持ち帰ったとの記述も残っている ことから、一般的には17世紀頃中国から

↑果皮近くまで甘みが楽しめる常磐のスイカ

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ス イ カ

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常磐西郷町

自然に人が集まる、元気になる畑

栽培者がスイカを作り始めたのは、昭和30年代にこの地に嫁いでからのことです。嫁に来 たばかりの頃、働きすぎから腎臓を患い、見舞いに来た実母が腎臓の薬にと言って、実家で栽 培していたスイカの種を分けてくれました。薬が高価だった当時は、日々の食物に薬効を見い 出し、水分の多いスイカも、その利尿作用から腎臓の薬とされていたのです。

家の周辺にはスイカを作る人がいなかったため、栽培を始めると近所の人が栽培者の畑を訪 ねるようになりました。「近所のお友達と、畑でおしゃべりしながら採れたてのスイカやきゅ うりを食べるのがおいしくて」と語る栽培者にとって、スイカは腎臓のみならず心の栄養をも 補ってくれたに違いありません。

みずみずしくて美味しいと評判のスイカ作りの原点は、毎年つけている栽培日誌にあります。 1 日の終わりに日誌を書き記し、また 1 年前の作業を読み返すことで、翌日の農作業の計画を 立てます。寝る前に、翌日の作業の段取りを考えるのが最高に楽しいと語る栽培者の営む畑で は、作物も、集まる人々も、みんな生き生きとしているのです。

伝来したとされています。しかし、それ以前の史料にもスイカの存在を示す記述があり、もっ と古い時代に日本に伝わった可能性も否めないようです。

全国的に普及したのは江戸時代ですが、赤い果肉が気味悪がられ、民衆にはなかなか受け入 れられませんでした。改良を行い優秀な品種が育成され、大衆野菜として全国的に栽培面積が 増加したのは、大正時代に入ってからです。

『会津農書』の『歌農書』によると、福島県内でのスイカ栽培は、元禄中期にはじまったと の歌が残されています。しかし、当時の品種は優良でなかったため、さほど重要視されず、欧 米の品種が輸入され、わが国独自の品種とあいまって、現在のように夏を代表する果菜へと発 展を遂げたのは明治以降のことです。会津地方でも、特に北会津地区は排水の良い土壌と一日 の気温差が大きいことなど自然条件にも恵まれたことから、より品質の良いスイカが生産され てきました。(福島県農業史 各論Ⅱより)

いわき市内でも、海岸沿いの土地がその条件にあてはまると思われます。

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ス イ カ

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栽培方法

この畑で栽培されているスイカは、形は大小まばらですが、甘みのある果汁をたっぷりと含 んでおり、果皮近くの白い部分まで美味しいのが特長です。果皮近くの白い部分は漬物にして も美味しく食べられると言います。

3月15日頃に、黒マルチを施した畝に種をばら蒔きします。発芽したら、約60㎝間隔に 間引きし、苗の周囲に藁を敷きます。

4月初旬になると、草丈が約20㎝になるので追肥をし、ビニールトンネルで畝全体を覆い ます。雨が降らない日が続く場合は、水もやります。

5月半ば、トンネルの両端を開放し風を入れます。ここからツルがトンネルの外へとグング ン伸びて行くので、親ヅルの本葉4~5枚を残して摘心し、子ヅルの生長を促します。

6月上旬に開花し、7月中旬頃には実をつけます。

8月の盆前に収穫できます。その際、スイカを叩いてみて「ぼ こぉ、ぼこぉ」という鈍い音がするものを収穫します。大きさ は関係ありません。音で生長の度合いを計るのは経験ある栽培 者ならではですが、素人でも見当がつけやすいもう一つの見分 け方として、スイカをひっくり返し、底の部分にある星型の模 様が大きめに開いていれば収穫適期です。

スイカはどんなに優秀な品種でも、土地や日照条件により味 が左右されるものです。栽培者は、その年に食べた一番甘いス イカの種をとっておき、更に水に浮かべてみて、沈んだ種を選 抜します。種は白いものでも問題ないそうです。「一番甘いスイカの一番良い種を採ったんだ から間違いない!」と語る栽培者のスイカには、毎年ハズレがありません。

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17 これまでの在来作物を調査の過程で、多くの栽培者 さんとの出会いがあり、出会った分だけ、栽培者の皆 さんの作物に対する思いに触れてきました。

三和町で「むすめきたか」という小豆を長年栽培し ている女性は、嫁入りの際に、実母から小豆を手渡さ れました。その小豆はまさに「親から子への絆」でした。

収穫の時、今は亡きご両親を思い出されるといいます。「こんな話すっと笑われっけど…これ(小 豆)だけは、種を絶やさないで作り続けてる」と話してくださいました。

また、別の方は、いわきの在来作物を探している主旨をご説明した際に、「今はこれだけし かないんだ。嫁に来たときから作ってんだよ」と、納屋からからし菜の種を出して、見せてく ださいました。「あとは何もねぇ。止めたから。」と言いながらも、昔の野菜作りや昨年まで自 家採種によりヘラナ(杓しゃくしな子菜)を栽培していたことを教えてくださいました。

後日訪問すると、ご主人が「母ちゃん入院したんだ」と寂しそうでした。治らないご病気で、 自宅に戻れるかも分からない中、「ヘラナやめなきゃよかったなぁ」と後悔されていたことを 聞き、例えようのない思いが胸に残りました。

実家が在来のネギを作っている農家だという女性 は、嫁ぎ先が米農家だったため、自宅で食べる分のネ ギを作りたくても土が合わず、苦労した思い出を語っ てくださいました。女手一つで土壌入れ替えから始め、 試行錯誤を繰り返し、だんだん良いネギが作れるよう になり、今では近所の方に苗を分け、栽培法を伝授す るほどになりました。「実家のネギは、甘くて美味い がらね。昔は、貰いに行くにもなかなか行けねえしね…。自分で作っぺって思ったのが始まり がな。でも最初は大変だったよ~」とおだやかに語る姿は、作物への愛情に満ちていました。

栽培者の方々の作物に対する思いは様々です。希望・喜び・心の支え・想い出・懐かしさ・ ぬくもり…。時には、生きる糧そのものでもあります。

「いわき昔野菜」とは、栽培者の方にとっては、人生を共にする家族の一員なのかもしれま せん。

栽 培 者 の 様 々 な 思 い

参照

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